昭和五十六年六月一日 朝の御理解

御理解第四十三節 「死んだからと言うて神のおかげを受けずには居られまいが。死に際にもお願いせよ。」

 生きても死にても、天と地は我が住家と思えよと、天地より他に行く所はない。死んだからと言うて神のお世話にならんわけにはいくまいが。死に際にも願えと信心の究極の所、昨日一昨日でしたかね、の御理解の中にも本当言うたらこの世でおかげを受けるとか受けないとか、それこそ真善美輝く世界にも住みたい。貧争病のない世界にも住みたいね。そこで本気で信心をさしてもろうて、これが真善美輝く世界であろうか、本当におかげを頂いて貧争病のない足ろうたおかげを頂いて、有り難し勿体なしであるけれども、本当はそういうおかげを頂くという事はその力そのものが、心の光りそのものがあの世に持って行けるという事は、あの世の為にこの世のこの世での信心はあるんだよと。この世ではたとえどうであってもあの世に持って行けるものが大事なんだ。まあ言うならこの世はあの世の為にあるんだという御理解でしたね。昨日一昨日。昨日一昨日の研修の時に皆さん発表して居りまし中に、今年学院から帰ったばかりの錦也君がまとめておりました。もう見事にまとめておりましたね。たしかに魂の世界に入ってからの事の為にこの世があるんだとという事をもう今日のまあ一番よかったのは錦也君のが一番よかったという事でしたけど、ちょっと長すぎましたから短いのを塗板には書きましたけれども。
 本当にあの世魂の世界に入ってからの為に、此の世での修行が要るんだ、真の信心が要るんだという御理解ですけれども、まあだ二十歳そこそこの言うなら錦也君がどんなになら表現も上手にまとめておりましても、ならそれをです、なら取次者として信者の一人一人にです、この世であんた方が一生懸命信心しているのはね、あの世に持って行く事の為、本当言うたらこの世での修行とはあの世の為にあるんだよと。例えば二十歳のまだ若い先生がお参りして来る信者に言うて果たしてそれを実感として受けるだろうか。信者が、ね。 自分もまだそれが本当に分かっていない。信じ信じれそれこそ霊の世界の事ですから、けれども体験に体験を積ませて頂いて、確かに霊の世界があると確信する。その霊の世界に入ってから、やはりこの世ではお金がなからなければ不幸であり不自由であるように、あの世では自分の心に光を頂く。お徳を受るあの世は暗黒だと言われる。その暗黒の世界に魂の光を持たずしてあの世に行ったらもうそれこそもう光を持たずに行ける所ではないと、ここでは私がかき口説くようにその事を皆さんに聞いて頂く訳ですけれどね。
 それは私が体験に体験を積んでですね。確かにこの世には人間は、成る程貧争病のない世界にも住みたい。真善美に輝くような世界にも住みたいね。だからそこん所のおかげを頂く為に本気で修行をするね。修行をしていく中に体験に体験が積まれていく。いわゆるここで言われる心ひとつで総てを創るという事。という程しのその心というものが、そのまま言うなら魂の世界に行っても心に光を頂いておかなければ、確かにまあ霊の世界で不自由な世界に住まわねばならんだろうという事がです、体験からこう分かってくる。で、私がこうやって聞いて頂くとだんだん皆さん自身も体験を頂きながら、本気で魂を大切にしなければいけないなあと魂に力を頂いておかなきゃいけないなあという事が分かる。
 それで私はその日の研修の時に、だからなら錦也君がね、錦也君が親先生はかく言われるからと、そこに親先生がかく言われるからと言うて伝えたら、私は信者さんにも伝わっていくと思う。神様、あの世魂の世界は分からなくても、現在ここで親先生、言うならば修行生としてのそこのかかわりあいの中からです、勿論、親先生を信じたからこそお道の教師にもなろうと思うた、ね。そしてだんだん親先生の信心を神習わせて頂くとです。神様とか、その霊の世界とか魂の世界、心という事を云々されても自分には分からんけれどもね。親先生がああ言われるから、親先生がそしてあのように表しておられるから、これなら信じられる。だから私共は本当に魂の世界などという事は分かりもしませんけれども親先生はかく言われる。私は親先生の言われる事をかく信ずるという事であったらね、皆さんにも言わば二十歳の若い先生の言うならば子供でも本当にそうですねえと言うて聞けるじゃないかとこう思うというような事を申した事でございます。
 昨日は月末御礼神話会ですから、沢山の方達がいろいろ本当に一月のおかげを受けられた事を、又は一月の間にこれは私の信心のこの教えが身についたと言ったようなお話しを皆さんがなさっておりましたが、これもやっぱり錦也君が昨日発表しとりました。今月の何と言うても何というですかね、ハイライトというふうに言いますか。
 喜妙朝礼という事を親先生がお説きになった、ね。絶妙絶語とも一緒にお話しを頂いた。もうお道の教師としてどうでも朝を大切にしなければならない事は十分分かっておるけれども、あの御理解を頂いていよいよ言うなら、喜妙朝礼ね。喜妙とは喜びの妙なる喜びという事。
 金光教の信心によってその妙なる喜びというか喜びに触れられるのは、もう先ずは喜妙朝礼からだとね。朝の時間を大切にする、そこから生まれてくる所に言わば金光教でなからなければ頂けない味わい、言わば朝参りの妙というようなものが、朝起きの妙、なかなか若い者には朝起きが出来ません。けどもこの御理解を頂いていよいよそこに取次者として焦点を置かなければならない。しかも日々朝頂く御理解というのは、後から昼でもテープで聞かれる事は聞かれるけれども、先生が言われるいや神様が言われる絶妙絶語、合楽の御理解というのは又、頂けない御理解なんだと。それを生で朝頂けるという事の幸をですね、分からしてもらう、まあそういう信心に進みたいと言ったような発表致しておりました。皆さんが朝参りをなさる。本当に喜妙朝礼であり、本当に例えば昨日の御理解と一昨日の御理解は同じ御理解だったでしょうが。御理解何々何節(第三十七節)というのは、それでも全然角度の違った所から説かれてあったでしょうが。そして一昨日のと昨日のとつないでみると又素晴らしい。それを何十年間説いてきておるのですからね、合楽では、ね。いわゆる絶妙絶語である。という発表を致しました。その後に秋山誠二先生が発表しておりました。
 確かに今錦也君がいうように確かに合楽の御信心は喜妙朝礼にあり、確かに親先生のお話しというのは絶妙絶語である。けれどもそういう、どういう尊い御教えを頂くにしましてもそのもう一つ根本になる所をしっかりしとかなければならんという事を最近しきりに考えるという事を発表してました。
 ああ成る程やっぱそれだけ信心が巧者になってきとるという事を感ずるですね。どういう事を言うかというと結局まあ言うならば、食べる資格もなければ着る資格もない私共修行生の一人一人が本当に言うならば親先生のお徳にお縋りしておかげを頂いておる。本当に言うなら食べる資格もない者が食べさせて頂いておる、着せて頂いておる。そういう言うならば無力なる、我無力なりという所をです、まあ言うならば親先生のお徳に縋らなければどうにもしようのない私という事が分かってその喜妙朝礼が分からなければ、絶妙絶語が分からなければ本当なものにならないように思うという発表をしとりました。皆さんどうでしょうか、ね。そういう信心を踏んまえ、そういう信心を私は身につけて始めて親先生がああ言われるからと、言うなら今日の御理解でいうとね、死に際にも願えとかね、死んでからというても神のお世話にならん訳にはいくまいがと言うものが実感としていただける。いよいよ成り行きを大切にさせて頂かなければならない。これは婦人総代の秋山かずえさんが発表しとられましたが、もう本当に分からせて頂くという事は、成り行きを尊ぶとか大切にするという事はそのまま確かに神様の御心が分かる手立てだという意味の事を発表しとります、ね。いよいよ合楽で言われる成り行きを尊ぶ、成り行きを大切にするという事は、神様の御心が本当に神様の御都合が分かるとこういう。
 神様の御都合が分かるとこういう。神様の御都合が分かる、神様の御心が分かるという分かってくる所から、今日は皆さんにまあ錦也君とか、秋山誠二先生の発表とか、昨日一昨日の朝の御理解をもうこれ以上にはまとめられまいという位に、素晴らしゅうまとめておった。それが今言うようにこの世には、言うならばあの世がある事の為、あの世の為この世があるんだ。だからこの世で言うならば本気魂の清まりを願い、又それを頂いとかならんといったような事をまだ二十才そこそこの若い青年教師が説いた。素晴らしいけれどもなら錦也君がそれを本当にならそうだと信じておるとは思われないけれども、親先生がああ言われるからと言う事ならば、親先生その人を信じておる事だからという今日例話を申しましたようにですね、皆さんとてもそうです。なら親先生がああ言うから親先生が言われるから怖いものもなくなる。不安もなくなる。自分に安心のおかげを頂いとるとは思われんけれども、昨日も佐田紀子先生が発表しとりましたが、懐妊のおかげを頂いてだんだんお腹が大きくなっていくに従って自分の心もやっぱ大きくなっていかにゃならんという、まあ現在今自分が頂いているぎりぎりの話をしておりましたが、もう兎に角あの産婦人科の先生の所に行くとですらも怖かった。けれどもお取次ぎを頂いた時に親先生が病院の先生が言われる事が神様の言われる事ぞと頂いた時にもう腹が決まったと、何々先生の言うならば診察を受けるわけなんだけど、はあ神様から診て頂いとる診察して頂いとる、神様がこう注意して下さったんだと思うたら、まあ心が定まったというようにですよね。親先生の一言一言がその親先生の言われる事ならば信じられる。親先生がああ言われるからという所まではね。皆さんいよいよ信心を身につけてまいりませんと、今日の御理解、ほんなこてこの世ではお世話になっておきさえおきゃ、あの世はどげんでんよかというような投げやりの思いというものがなくなって、確かにこの世でお世話にならなきゃならん、同時にあの世ではなおさらお世話にならんのであるからね、力を頂いていかなければならん。心に光を頂いていかなければならない。あの世は親先生は暗黒と言われるのであるから光を持って行かねばどうにもしようのない事だと皆さんが信じておかげを頂く。為にはいよいよ成り行きを大切にさして頂いて、成り行きを秋山かずえさんの言われる事じゃないですけれども、成り行きを大切にするという事は、神様のお心がいよいよ広く深く分かる事だという事を体験して行かれると有り難いと思うですね。
どうぞ。